2022/6/26

museum.geidai.ac.jp

第1会場はなんというか、3.11の前の2000年代の時代空気感なのかなって思った。"新しいエコロジー”、"自然"って人間がコントロールでるものじゃないけど、なんというか人間が勝手に役割を背負わせてコントロールできる、ないし自分達に牙を向かない、みたいな雰囲気があって、え〜と思ってしまった。なんというか、このキュレーションて分かりやすく言うとバブルの頃の雰囲気がずっと感じている…。ふわっとしたある種理想に近いようなエコロジーをプレゼンされている感覚、”いま、ここ”がよく分からないな〜って…新しい世界はあたかも人間のためにあるように感じたから、人間中心主義や過度な資本主義に囚われたまんまじゃない?って。

第2会場があってちょっと離れていたりしていくのがめんどくさかったりする会場で、大抵そこで展示を通じて本当に言いたいこと、表現したいことが展示されているパターンの展示だった。今をちゃんと見て描いている感じがした。それは当事者性であったり、自然はコントロールできないってことを示した上でのビジョンがあったからなんだろ思う。どんなビジョンを描いているのか知りたいから、ちゃんとブルーノラトゥールと長谷川の本を読みたいな〜と思った。

本企画は、「新しいエコロジーとアート」をテーマに、現代におけるアーティスト、研究者ら双方の取り組みから、 エコロジカルな芸術実践に光をあてる展覧会です。 人間の活動が自然に大きくおよび、地球環境を変化させてしまった時代である「人新世」において、人間中心主義や過度な資本主義により、自然環境のみならず、私たちをとりまく社会や精神的環境までもが持続不可能の危機にさらされています。このような状況の中で、アーティストたちは、これらの環境を総合的にとらえた「新しいエコロジー」を調査、観察し、新しい美学を通して、人々に伝える媒介、翻訳者となる役割を担っています。 アートは、Sensory Learning(感覚を通した学び)によって、見る者の身体、意識や感性に働きかける「ミクロ」な視座と、データや情報証拠に基づいて私たちの世界を取り巻くリアリティを可視化する「マクロ」な視座を提示することで、私たちの生き方や考え方に影響を与えていきます。これからのアートは、分断された私たちを「共感」でつなぎ、動物や植物、モノなどを含む脱人間中心的な、複数のヒューマニティの可能性をさぐるものとなります。本展は、ポストコロナの時代に新しい考え方、生き方を模索する私たちに差し出されたコンパスのように、さまざまな指標、ヒントをあたえてくれることでしょう。

2022/11/16

 青木淳研究室(藝大)の新有楽町ビルでの「テンポラリーなリノベーションとしての展覧会」を迷ってこれは無理だな〜と思って優しそうな人に声をかけて一緒に考えながら行った。

主体が探りながら歩くことで建築という空間の再解釈、リノベーションを行っている、それがコンテンポラリーな振る舞い、つまり展示作品てことかな。そのコンテンポラリーな振る舞いを通じていつもと違う見方、解釈を手にする。建築って、建築の意味とか使い方は人によって異なる解釈が多様にあって、それは言語を介さないものという前提が自分の中にはある。今回は言語的なルールと説明に従って、建物の解釈を各々が作り上げていく展示だった。だからこそ、説明を読み解く能力、日本語能力がなければ、排除されてしまうという怖さが建築の言語フリー的な側面と反対にあるからこそ、排除が明確に存在するよなとも思った。

聞いたら、有楽町のこのビルを使っている人にこそ、こんなところもあるのかという発見して欲しくてって言っていた。それは展示でやることなのかなと考えている。展示はあくまでも外に向けてのイベントな気がしていて、展示を使っている人に向けている感覚はしない。

2022/11/19

新宿ライオンプラザでの「とうとうたらりとうたらりあがりららりとう」を見に行った。

第一会場では足袋をはいて様々な舞台、生というか人の営みに足を踏み入れる。そこでは天皇チッソ、太陽であったりとした、上からの人の存在も見る。

第二会場はこわそうで屋上にしか入れなかったけどスタッフの人話しながら見たのがよかった。飴屋法水たちの個人的な生活という第一会場で提示された大きな枠組みの生に対しての抵抗としての個人の生活が展示されていた。飴屋法水たちのホームである新宿という街を見下ろすことで、飴屋法水たちの生活の上に冷蔵庫があることを強く意識した。

上からの人、天皇チッソ、太陽であったりとした抑圧者は人で作られている偶像の抑圧だし、能の舞台も人が作っている人為的なもの。それこそ資本主義だって。結局人に行き着くんだよな〜という循環構造みたいなのを強く意識させられた。太陽のぞくな!という置かれているま双眼鏡?は太陽を見ることで、認識してしまったら偶像ではなくなってしまうことを示している。

作品っていうよりも第二会場の屋上での大きな物語に逆らうような生活の提示の仕方がとても好きだったんだと思う。第一会場だけだと、だいぶ怖い内に向いた展示になってしまうと思う。

ちょっとシティでエモーショナルで少しSFの映像が海外のアートシーンで流行っていると感じてる

 

2022/6/12

www.tokyocontemporaryartaward.jp www.tokyocontemporaryartaward.jp

都現美に藤井光を見に行く。山城の映像をいけるかなと思ったらじわじわしんどくなって,でも何がイマイチ自分をこうも追い詰めているのか分からなかった。でもしんどい感覚よりも体のほうが無理!と言っていたので走って外に出る。あの生々しい感覚が無理なのかもしれない。

藤井光は絵画は不在だけどキャンバスという実寸の存在を提示することで、見ている側の想像力を当時の状況とか絵画ではないことに想像を向けさせている感じがした。これだけの作家、藤田とかが戦争画に熱意をかけた生々しさををすごい感じる。

後日に都現美に藤井光と北川恵のトークを聞きに行く。藤井光の戦争画歴史認識について北川恵の発表で別の角度を提示するという流れだった。北川恵がナイフをチラつかせると藤井光が積極的に刺されに行っていて良かった。前話したことのある教授に声かけて藤井光に質問してもう一回見に行く。界隈の教授が来ていた感じがする。

藤井光に最後どうして映像という媒体なんですか?って聞いたら映像への愛と力強く言っていて超良かった。自分の作品に命かけててさいこ〜と思った。あと文化の話をウクライナ、むしろロシアを踏まえて聞いたのは、かつては、政治におけるビジョンを描いていたのは芸術であった。(思い出すのはナチ、ソ連。そして感性から美学、そして政治が生まれているということはカントが言っているはず。)しかし現代において、芸術、文化は人々そして政治からは敗北している。今は陰謀論のようなポエミティックなものが未来、政治を描いている。ということを話していた。そうねと思った。藤井光のこれまでの経歴、都美での出来事を少し思い出したりした。この人の作品ずっと好きだな。自分に客観性はないことを自覚しながら、ずっと中立みたいな映像を作っているけどゴリゴリに主張している。

2023/4/14

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f:id:oyasumi_sue:20230416203327j:image箱根まで足を伸ばして「ポーラ美術館の部屋のみる夢 ―  ボナールからティルマンス、現代の作家まで」を見てきた。道中の登山電車があまりにも観光客が多くて、美術館にも人が多くて見づらかったら辛いな…と思っていたけど、全然そんなことなかった。

www.polamuseum.or.jp

箱根という場所にあっている展示だった。詰め込まれた展示でもなく、特に地下2階の展示室の広さに対する作品数はいい意味で攻めているなと思った。作品が少なくて、大きく空間をとっている。作品を探すように展示室を歩き回ることですごく室内という空間を意識させる作りだった。

地下3階はいつも通りのそれなりの数の作品数ではあったけど、ヴォルフガング・ティルマンスの作品と草間彌生の展示の仕方、この展示の構成としてはとても良かったなと思う。地下2階の作品は一つの絵画が一つの部屋を描いていてそれを覗き込む感覚に対して、部屋の一部を展示室に持ってきていて断片から部屋を想像していくプロセスのような違いを感じた。ただその後の「ポーラ美術館の名作絵画」は前の展示の余韻をかき消すような有名どころです!から始まっていて、ポーラ美術館…そういうところだよ…と前回見た「モネからリヒターへ」というよく分からない展示を思い出した。

地下3階はいつも通りのそれなりの数の作品数ではあったけど、ヴォルフガング・ティルマンスの作品とただどうして佐藤翠と守山友一朗の2人を展示に加えたのかがいまいち腑に落ちなかった。他の作家の作品が特に油絵であるのもあって、重厚感で負けている感じがした。佐藤翠は小山登美夫ギャラリーに所属していて、ここのギャラリーはいつもピンとこないから、趣味の問題なのかな。

 

 

2023/6/4

森美術館でやっているワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会に、友達とのアフタヌーンの前に行った。開館直後ぐらいに行ったらディズニー展と列が分かりにくくて大変だった。

www.mori.art.museum

作品リストを見てから行くことを決めていたので、キュレーションで見せる展示ではないだろうなと予想して行ったら本当にその通りな印象を受けた。

テーマがテーマでもあるからか、あいち2022、藝大陳列館での展示みたいな教育的な雰囲気のある展示だった。ひとつひとつの作品と作家の解説が丁寧ではあるけど、キュレーションによる作品同士の繋がりではなく、個々の作品とテーマにフォーカスしている展示だった。キュレーションによって語るという側面が弱かったから、メッセージ性が薄くて、すごく印象に残る作品がなかったら影の薄い展示になってしまうのでは?

ただ、半数が森美術館のコレクションであったから、コレクションのお披露目という側面もなくはなかったと思う。そして作家を見ると圧倒的にアジアの作家が多い。展示を見ている人にそれなりの割合(3割は超えていたと思う)がいわゆる外国人観光客の人が多かったから、アジアの現代アートの中心地としての日本、森美術館みたいな印象づけをしたいのかな…と勝手に想像していた。(現代アートの中心地は韓国、中国、香港とざっと思いつくだけでも、それなりにあるけどM+ができた香港のイメージが強い)

ヨーゼフ・ボイス Joseph Beuys

黒板

1984年 チョーク、黒板 186.5×193.3cm 所蔵:東京藝術大学

Blackboard

1984
Chalk on blackboard 186.5x193.3cm
Collection: Tokyo University of the Arts

藤井 光 Fujii Hikaru

帝国の教育制度

2016年 ビデオ、サウンド 21分 所蔵:森美術館(東京)

The Educational System of an Empire

2016Video, sound21 min.Collection: Mori Art Museum, Tokyo

森美術館での出展歴:「六本木クロッシ ング 2016 展:僕の身体(からだ)、あな たの声」2016 Past Exhibition at the Mori Art Museum: Roppongi Crossing 2016 : My Body, Your Voice, 2016

藤井光は2016年の作品だったんだけど、最近の作品とは違って本人がちょこちょこ映り込んでいたので驚いた。あまり映り込む印象、自分の影を作品に映すことは避けている印象を抱いていた。

この作品はアメリカによって製作された戦前の日本の教育に関するビデオと韓国のアクターたちが日本軍の振る舞いをビデオで学び真似をするという二つの映像を軸に制作されていた。韓国のアクターたちの振る舞いが、帝国教育を受けていないと日本軍のように振る舞うことはできないと暗示している映像だなー見ていて思った。

この作品にそれなりに人が集まっていたけど、藤井光って本当にコンセプトを作るのがうまい。自分の言いたいことは言わないで、ないものを想像させる、みたいなことが本当にうまい。映像を通じて見ているこちらに言いたいことを考えさせるような作品を作っているよな…

菊地智子 KikuchiTomokoスージエとマネーボーイ、河北省(「I and I」 シリーズより)
2007
インクジェットプリント
37.2×55.8 cm 所蔵:森美術館(東京)Sujie and Moneyboy, Hebei Province(from the seriesI and I)
2007
Inkjet print
37.2 x 55.8 cm
Collection: Mori Art Museum, Tokyo

ク・ミンジャ GuMinja怪物のおなかの中2015–2023年 ビデオ
38
作家蔵
Inside the Belly of Monstro2015 – 2023
Video
38 min.
Collection of the artist

奈良美智
Nara Yoshitomo

MissMoonlight

2020年 アクリル絵具、キャンバス 245×222 cm 所蔵:森美術館(東京)

Miss Moonlight

2020
Acrylic on canvas
245x222cm
Collection: Mori Art Museum, Tokyo

森美術館での出展歴:「STARS 展:現代 美術のスターたち―日本から世界へ」 2020–2021
Past Exhibition at the Mori Art Museum: STARS: Six Contemporary Artists from Japan to the World, 2020 – 2021

奈良美智もかなり好きなんだけど、少女の絵が好きというのではなくて、この人の空間作りを含めた作品が好きだな。それは青森、あいち2022の作品で感じた。青森は青森の文脈によりながら作品を作っているし、あいちもあいちで銀行の建物をここまで自分のものにするのか…と恐れ慄いた。

2023/8/8

朝から早起きして、国立国際に行く。大阪で美術館に行く機会がなかったから、何気に初めての国立国際美術館

ホーム・スイート・ホーム」と 常設展「コレクション1 80/90/00/10」を見た。

企画展の方は、ANOMALYaka Ishii Galleryの作家が出展するらしいから、それなりのクオリティになっているんだろうな〜と思っていた。

https://www.nmao.go.jp/wp-content/uploads/2023/04/homesweethome_listofworks_jp-en.pdf

鎌田友介と石原海が良かった。あとMOTで海に飛び込むところを逆再生した映像が印象的だった潘逸舟もいたけど、そっちはあんまり印象に残らなかった。

 

鎌田友介は最後の映像作品でいきなり女の人が出てくるところでウッとなってしまったけど、空間の作り方がとても良かった。現代の男の人が出てきて、パントマイムをすることで存在しなくなった外国の日本家屋の痕跡を辿っているのは、パントマイムの技術もあってやりたいこと・意図していることがわかったし、作品のコンセプトにあっているなと思った。

その一方で、女の人はやりすぎというか、作家のフェチ、女性観みたいなものが出てきているみたいで、気持ち悪く感じてしまった…異国(おそらく韓国)にある、植民地統治時代の名残の日本家屋の縁をなぞるのに、白いワンピースを着た若い女性である必要性が理解できなかった…抑圧された象徴としての女性であるなら、ワンピースである必要はないし。むしろチョゴリでなくても、モンペの姿だろうし…。現代であることを強調したいのかもしれないけど、いきなり若い女性が出てきて、目を瞑りながら日本の様式の家の塀を辿るっていうのは、女性がどうやって見られているか、記号として捉えられるのか?についての考慮不足じゃないかな…

映像作品の1点を除けば、LEDと材木の使い方とコンセプトがすごく良かった。アメリカの落としたB26焼夷弾の光に照らされ鑑賞する、ある意味で日本の戦後社会を暗示しているよな〜とか考えたりしていた。

 

石原海はSHISEIDOUギャラリーで見れなかった人で、今回で見れてすごく嬉しかった。

キリスト教をどうやってローカルで受容しているか?についての映像を、キリストの復活までの物語を演じながら、演じる人がどう生きてきて、キリスト教徒になったのか?って映像だっで、個人の語りとしてキリストの物語を再生している。カルスタっぽいな〜と思ってたら、ゴールドスミス在学中らしくそのまんまだった。

hanatsubaki.shiseido.com

www.tokyoartbeat.com

 

コレクション展は時間があまりなく。サ〜〜〜と見るだけで終わってしまったけど、とても丁寧に村上隆をはじめとした美術史、文脈に則った展示で面白かった。これだけ丁寧にやってくれるところってあんまりない。